扁鵲の頃の病気治療

 

挿話の続き その2

(かく 爪の下に寸 虎 注1)の太子を治療する事

注1 文字化け対策です 最初が読み 次が偏 最後が旁です

その後(趙簡子を診察した後) (かく)を通り過ぎた。 虢(かく)の太子が死んだ。 扁鵲が宮殿の門に行き、医学を好む中庶子(官名)に聞いた。『太子は何の病気ですか 国中でお祈りをしていますが』 中庶子が答えて 『気血が正しく行き交わず 外に洩らすことが出来ません、そこで陽が弛緩し陰が緊張したため、激しく突っ張り(逆上)死んでしまったのです』。扁鵲 その死はいつごろですか』 答えて『鶏が鳴いてから今に至る迄です』 問う『棺に納めましたか』 答える 未だです 亡くなってから 未だ半日経ちません』 そこで扁鵲が言います 『私は渤海()近くの秦 越人です 家は鄚(ばく 莫 おおざと)にあります 未だ太子にお目にかかる光栄を得ず 御前に拝謁もかないませんでした 太子は不幸にもお亡くなりになったと伺いました 私は太子を生かすことが出来ます』中庶子が答えます『あなた でたらめを言っているのでないでしょうね 何ゆえ太子を生き返らせると言うのですか (ここからが司馬遷以前の医学の概要です) 私が聞きますのは 大昔 医者の兪跗(ゆふ 伝説上の名医)がいて 治療には湯薬、薬酒、針、按摩、座りあんま、膏薬などを用いず 一寸着物を開いて見ただけで病の原因を知り 五臓の輸穴の反応により、皮膚を裂き肉を切り分け、脈をえぐり筋を結び骨髄脳髄を搦めとり、横隔膜を抓み浚い胃腸を洗い、五臓を濯ぎ、精髄(命の元)を練り外形を整えたといいます 貴方の医術がこの様ならば、太子は生き返ることでしょう この様で無くてしかも太子が生き返るなど 子供にも言えることではありません』 こんな問答でついに一日が終わってしまい 扁鵲は天を仰いでつぶやいた 『貴方の医術などは管を以って天を覗き、隙間から文模様を視るような物だ (全体を見通せないとの意味) 越人の医術は脈を診て、顔色を窺い、声を聞き、姿を観察する事などしないで病の所在を言い当てます。陽を病むと聞けば その陰を論じることが出来るし 陰を病むと聞けば その陽を述べることが出来るのです。病気はおおむね外に現れものですから 千里も出てゆかずとも 多くを決して 間違っていることが無いのです 貴方は私が信じられないならば 試しに奥くに行き 太子を診て御覧なさい、耳が鳴り小鼻が膨らむ音を聞くでしょう 両股に手を入れ探り 陰(ふぐり)を触れば 尚温かいはずです』中庶子は扁鵲の言葉を聞くと目まいがし瞬きもせず、舌は張り付き突き出すことも出来なかった。そこで扁鵲の言葉を奥に入り虢(かく)(君主にして太子の父) に報告しました。虢(かく)君はこれを聞くと大慌てで(宮殿の)中門の所に出てきて扁鵲に会いました。そして言いますには 『先生の高義(医師として正しく振舞う道)をひそかにお伺いしてより日がだいぶ経ちますが、まだ御前にて拝謁の機会がありませんでしたo 先生が虢(かく)においでになりまして、太子の事を取り挙げて下さったことはこの片田舎の家来の少ない私(小国の君主の意味)にとってはなはだ幸せなことであります。先生が居ればこそ(太子は) 生き返り、居なければ溝に棄てられ埋められてしまい、ついには生き返りが出来ませんでした』と言いも終わらず、嗚咽がこみ上げ、気持ちが溢れ、涙と鼻水が流れ、 時に目に涙を溜め、悲しみのため止められなくなり容貌が変わってしまうほどでした。扁鵲が答えるには『太子の病は所謂、屍蹶(しけつ)と言うものです。 そもそも陽が陰に入りぶつかると言う事は、胃を動かしその縁を斜行して、経脈に中り絡脈に連絡し、そこで別れ三焦経の膀胱を下ります、これにより 陽脈は下方に落ち 陰脈は上方に行こうと争い 会( 気の行き交う場所)で気は閉ざされしかも通わなくなってしまうのです 陰は上行し陽は内側を下りますので、気は内で鼓動はしますが上に向かわず 上れば外側で絶えてしまい役に立たないのです 上には陽の絶えた絡脈があり 下には陰の敗れた脈が在り、破陰絶陽により顔色すでに損なわれ、脈は乱れ、そこで体が静止して死んだ様になったのです。太子は未だ死んでおりません。そもそも陽が陰に入って臓腑を支えている者は生き、陰が陽に入り臓腑を支える者は死にます。およそこれら数々の事は、皆 五臓が蹶(けつ)に中ったときに(上に述べた様に気が詰まって動けない時)突発的に起こるのです。名医はこの見解を取り入れますが 藪医者は危ぶんで疑います。』

扁鵲は弟子の子陽に命じて針を砥がせ、その三陽(陽明、太陽、少陽)の経絡と五会につぼを取り針を打ちます。そうこうしている間に太子が蘇ります。そこで弟子の子豹をして五分の膏薬作らせ、八減の剤を煮させて(作り服用させ)、膏薬を両脇下に貼らせました。すると太子は起き上がり座りました。更に陰陽を調和させ その間 20日あまり湯薬を飲ませたところ すっかり回復しました。この事ゆえに 天下の人々はことごとく扁鵲が死者を生き返らせたとした。扁鵲が言うことには『越人は死人を生き返らせたのではない、この事は自ら生きている者と出会って、越人は起き上がらせただけです』と。

安大夫解説

中庶子が述べる大昔の医術とは現代の開腹手術を彷彿とさせますね。一説によればこの頃はインド方面より伝わった外科的治療法があったようです。例えば漢のあと三国の時代に魏の曹操の頭痛を名医華陀が外科的手術で直すことを願いますが退けられ最後に刑死します 死ぬ前に彼の治療法を纏めた書を牢番に渡すが後難を恐れ焼いてしまったとか それに対し扁鵲の医術はまさに中医学(中国の伝統的医学 針灸、湯薬、按摩)です。著者、編者共に不明ですが後漢の頃には成立していたと思われる『黄帝内経(こうていだいけい)』という医学書は扁鵲たちが述べる見解を実践上検証し(500)やがて定説となったものを集大成したと思われます。今でも中医学を学ぶ者には聖典或いは原典とされています。又 先に述べた外科的治療法について『黄帝外経』が有ったともいわれますが、残念ながら発見されていません。

 

挿話の続き その3 

扁鵲 斉の桓公を診察する事

扁鵲が斉に行きますと 斉の桓公が彼を客人とします。宮中にゆきお目見えして言いますには『君は疾患が腠(そう 月 秦) (皮膚と肉の間つまり体表部)に有ります。治さないと深くなります』桓公は『私は病気でない』と。扁鵲は退出しました。桓公はお付の人に『医者とは利を好む者だ。病気でないものを治して功績としようとする』。五日後 扁鵲は再び桓公にお目見えします。そして『君は疾患が血脈に有ります。治しませんと深くなることを恐れます』と。桓公は答えて『私は病気でない』扁鵲は退出しますが、桓公は不愉快に思いました。五日後に又拝謁し、桓公を拝見しますとそのまま退出してしまいました。桓公は家来を遣ってその訳を尋ねさせると扁鵲が答えるには『疾患が腠理(そうり)にあれば、湯薬と膏薬で効き目が及びます、血脈にあれば鍼灸で治療ができます、胃腸にあれば、薬酒で治せます。疾患が骨髄にあれば、司命(人の寿命を定める星)もこれをどうしようも有りません。(桓公の疾患は)今骨髄にあります、そこで私は治療する事を請わなかったのです。』五日後 桓公は体調を崩し、家来に扁鵲を召しださせたが扁鵲は既に逃げ去っていた。桓公は遂に死んでしまいました。 

 

安大夫解説

先に述べたように斉の桓公と扁鵲は時代が違いますし桓公は別なはっきりした事実で亡くなっています。したがってこの挿話は戦国時代の縦横家が仕官を狙う君主を説得する為の説話です。病気と同じように国策も早いうち(私を登用して)整えなさいと言う事です。司馬遷は扁鵲の『早期発見、早期治療、早期完治』との(厚生労働省が泣いて喜びそうな)提言に感銘し伝に取り上げたと思います。

次の機会に私が扁鵲の墓を訪ねた時の話と写真のページを作ります。

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